少し前の徳島に、製糸産業が確かに息づいていた時代があったことを、覚えているでしょうか。
子どもの頃、自宅近くの里山を駆け上がると、目の前には一面に広がる桑畑。季節になれば、子どもたちは桑の実をおやつ代わりに頬張り、気づけば口の中も唇の周りも紫色に染まっていました。
家に戻ると、近所の影響もあって祖母が始めた養蚕の風景。狭い我が家でも空き部屋を使い、お蚕さんを育てていました。飼育ネットの上で桑の葉をはむ、かすかな音――その静かな営みは、今も幼い日の記憶として耳の奥に残っています。
同じ町内、川田駅の隣には藤村製糸工場があり、多くの女工さんたちが働いていました。
山川中学時代の夏休みには、トラックの荷台に乗り、山間の農家を巡って繭の集荷を手伝ったこともあります。あの頃の空気や匂い、揺れる荷台の感触までが、今も鮮やかによみがえります。
徳島県内に点在していた製糸工場は、1980年代にはすべて姿を消しました。合成繊維の普及、絹糸の自由化、そしてオイルショックやプラザ合意後の円高――それらが重なり、日本の製糸産業は急速に国際競争力を失っていったのです。
西川田地区のランドマークだった藤村製糸工場も、2000年代に入る少し前だったでしょうか、解体され残されたのは煙突だけでした。その巨大な煙突は長くそこに立ち続けていましたが、数年前、ついに姿を消し、跡地はソーラーパネルの並ぶ風景へと変わりました。
久しぶりに故郷へ戻り、近くの山道を登ってみると、かつて手入れの行き届いていた里山は、今や竹やササが生い茂る荒れ山へと変わっていました。その中に、巨木となった桑の木がいくつか、ひっそりと姿を見せています。
時代は移ろい、景色は変わっても――あの頃の記憶は確かに今へとつながり、静かに流れ続けているのだと、そう感じさせられるのです。
投稿: 梯 哲雄(高25回)





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森 淳子 (月曜日, 13 4月 2026 08:05)
我が家もお蚕さん飼っていました。桑の実を頬張ったことや桑の葉を1枚ずつそっとお蚕さんの上に置いたことお蚕さんを触ったときの感触、思い出すだけで胸がじ~ときました。幼虫を触れるのは今でもお蚕さんだけです(だと思います。)(笑)
梯 哲雄 (月曜日, 13 4月 2026 20:28)
昭和の子供は山に入るとオヤツに困る事がなかったですね。春には野いちご、初夏には桑の実、これマルベリーと言うらしいです、夏みかん、秋にはもっと沢山、柿、栗、温州蜜柑、アケビ、お芋、書ききれません。
緒方 貴文 (火曜日, 14 4月 2026 08:13)
興味深く読ませてもらいました。煙突は覚えています。懐かしいですね。時代の流れを感じます。口山の農家でも蚕を飼っていました。桑の木もたくさんありました。蚕には雨に濡れた葉はだめだったような。僕は桑の実が好きでした。
梯 哲雄 (火曜日, 14 4月 2026 08:36)
いろいろ思い出しました。他にも子供のオヤツは沢山ありました。しゃしゃぶと言う赤い色の実も良く食べました。酸っぱいけれども美味しくいただきました。あとゆすらうめ、なつめ。春の野山のすかんぽ。豊かな里山でしたね。
森 淳子 (水曜日, 15 4月 2026 18:30)
ゆすらうめ、しゃしやぶ、はたんきょ、いろいろありましたが、何と言ってもイタドリ(いたんぽ)です。父が山に行ったら大きな太いイタドリをたくさん採ってきてくれました。塩をつけてパクパク食べました。今ではイタドリは何と健康食品として通販で売られているのです。私たち田舎者が元気で過ごせるのはそんな自然の中で自然のおやつを食べたからでしょうね。
真鍋 恵吾 (水曜日, 15 4月 2026 19:51)
実家の隣地も私が小学校低学年まで桑畑でした。
ブログを拝読し、幼少期、桑畑を日暮れまで走り回っていた記憶が一気に蘇りました。あの頃はいくら遊んでも疲れ知らずの無敵でした。笑