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かわがき

夏になって思い出すのは、小学校のころの真夏の昼下がり。

家近くの吉野川の河原に沸きあがる子供らの歓声である。

僕らが小学校のころは学校プールなど市内か大きな町の学校にしかなかった。

少なくとも県西部の小学校は吉野川の適当な場所に水泳場を作り、父兄が順番に

監視役を仰せつかって、その庇護下に子供らは自然の川の中で水泳の練習と言うか

川遊びを思う存分体験できたのだ。

本来川の比較的流れの緩やかな平らなところに、遊泳可能な場所の確保のため

ロープを張っただけであるので、何十メートルもクロールで泳ぐなど水泳の練習には

実に不向きであった。そのためか私は水泳の基本を置き忘れて来たようで、いまだ

平泳ぎなど出来ないままである。

その代わり水の中の動物には、それすなわち魚であるが、興味を抱かざるを得なかった。

水中眼鏡(僕らはそれをすいがんと呼んでいた)をキリリとし、水中に頭をつけると

実に多数の大小取り混ぜた魚たちが一生懸命泳いでいるのだった。

イダ、ジャコ、ギギ、オイシャギギ、ドブンチ、ウナギ、ヤツメウナギ、ゴウジバイ、

アユ、ケガニ、ケチャエビなどなど名前を挙げたらきりが無い。

手ぬぐいですーいとすくっためだか(本来のめだかではなく、というのは吉野川の流れの

早いところではめだかはいなかった)をビンにいれ家に持ち帰るころには酸欠で全滅して

 いるのが常であったが、それでも飽きることなく川に通い、めだかをすくい、岩をはぐり、もりで魚を追い掛け回した。そして気がつけば頭上に広がっているのはどこまでも青い、四国の夏空と威勢のいい積乱雲であった。

かわがき-その2

 

川で一日あそびまわる子どもらのことを かわがき と呼ぶんだそうな。

僕の子どもの頃にはそんなことも知らず、まさしく初夏の声を聞くと、水の

冷たさもかまわずかわがきと化した僕の毎日があった。

それは以前の我が家のあたりの生活には、今よりももっと川が身近な存在で

あったからだろう。昭和の20年代までモータリゼーションも田舎には無く

人は歩くか、自転車か、オートバイか、汽車か、渡し舟で移動していた。

我が家のあたりは船戸という地名のとおり、伊予街道の中間地点で対岸の

撫養街道へと渡るための渡し場や、川上、川下から船で荷物を運ぶ交通の

要所だったらしい。僕が子どもの頃にはもちろんそのような世界ははるか昔に

終わってしまい、それでもそこかしこに昔の名残のようなにおいが存在した。

岩津の渡しの岸壁は存在していたし、川のにおいが夏に近づくと急に濃くなる

ような気がした。

小学校帰りに製材所の近くから川面の土手道にあがり、家に帰る。

四国山地と讃岐山脈にはさまれた世界に夏雲がわきあがり、眼下の吉野川は

青く、どこまでも澄み切って流れるのだった。

ランドセルを家に投げ込むと友達といっせいに川に向かう。水泳は夏休みの

限られた日数しか許されていないので、日を浴びてぬるくなった小川でひざまで

水しぶきをあげて小魚を追いかけ、たこいとに小石をくくりつけた仕掛けで

魚つりに興じた。

やすを買ってきて流れのはやい瀬で一日魚を突いていたこともあった。そんな日は

夜になって日焼けした背中の痛みで苦労したものだった。

あの頃のかわがきの歓声はもう聞こえない。時代が変わり川で遊ぶ子どもらの

姿は消え去り、小石の川原も雑木林のようになってしまった。

 

 

投稿:                            梯 哲雄(高25回)